手打ちそば喜心庵
きせつ
 
  そば屋のおおもりの謎  2026年1月30日
 

  

昭和40年頃のおしながき

 さて、クイズです。あなたは、そば屋の客席係です。二人組みのお客様から、ご注文をいただきます。
客A.「私は、てんぷらそば」
客B.「ぼくは、おおもり」
 さて、このご注文は、伝票になんと書けばいいのでしょうか?


わかりましたか?

 天ぷらそばと、天ぷらそばの大盛 ・・・ という可能性もゼロではないのですが、十中八九、天ぷらそばと、もりそばの大盛なんです。なんで、もりそばを省略して、大盛とだけ言うのだ、と憤慨するかたもおられるんじゃないでしょうか。

 そば屋のお品書きには、もりそばや、天ざるそばと並んでいる「おおもり」という品目があるのです。まあ、すべてのそば屋にあるわけでもないのですが、そのようなお店もたしかにあります。

 ラーメン屋や牛丼屋のような大盛は、もともとそば屋にはありませんでした。そば屋が、ラーメン屋や牛丼屋のような大盛を、採用したのは1980年ごろのようです。お品書きの末尾にある「大盛~円増し」です。

 その「大盛〜円増し」が始まるずーーーと前から、そば屋のお品書きには「おおもり」という品目がありました。これは、そば屋の「おおもり」は、ラーメン屋や牛丼屋の「大盛」とはコンセプトが違う、ということなのです。

 では、おしながき江戸そば屋の「おおもり」とは何なのか?私は江戸時代のお品書きにある大蒸籠の末裔だと思っています。江戸後期には、蒸籠も、もりそばも名前が違えど中身は同じだったそうですから、店によっては、大蒸籠を、おおもりと言ったはずです。たぶん

 そもそも、大蒸籠がどんなものだったかすら判っていないのです。だれにも判らないことなので、江戸時代のそば屋になったつもりで、大蒸籠がどんなものだったのか考えてみます。

 江戸後期には、そば16文といわれていますが、これはそば1枚の値段です。ふつうは2枚注文しましたので、一人前32文ということになります。

 さて、ここで江戸時代のそば屋の気持ちになって考えます。2枚の蒸籠を盛るのは、めんどくさいな。1枚にならないかなあ、と考えたかもしれません。でも一人前1枚になったら、売上半減です。

 そうだ!1枚に2枚分のそばを盛ればいいんだ、と思いついて大型の蒸籠をあつらえたのではなかろうか、というのが私の考えです。わざわざそんなことしなくても、1枚の蒸籠にそばを高く盛り上げればいいじゃないか、と考えるのは現代人の発想なのです。いまでこそ、蒸籠にそばを高く盛り上げるおそば屋さんは珍しくありませんが、江戸時代の蒸籠は重ねて使う物だという大前提があったので、高く盛り上げられませんでした。

 そうやってできた、大型蒸籠に盛った2枚分(ふつうの一人前)のそばが大蒸籠(大きな蒸籠のもりそば=おおもり)だったというのが、私の考えです。そば屋は蒸籠派よりも、モリ派のほうが圧倒的に多いので、大蒸籠は消えて、おおもりだけが残っていったとも考えられます。

 ちょっとまった、江戸時代の大蒸籠48文っておかしくない?32文じゃないの?とおっしゃるかたもおられるかもしれませんね。江戸時代のお品書きをもう一度ごらんください。御膳という文字が上についています。御膳とは上等なという意味なのです。ふつうのそばよりも、なにかしら上等な材料で作られていると考えられます。その上等な御膳の代金を16文たして、48文なのです。

 そして、時代が流れて明治大正の世の中になると、そばは1枚だけでいいというお客が増えてきて、ついに1枚が一人前の時代になります。おおもり(大蒸籠)は、1枚分より量が多い(昔のふつうの一人前の量)ということで、そこそこニーズがあって、現代まで生き残ることになったのではないでしょうか。

 

見出しにもどる
きしん庵ホーム