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晦日蕎麦、節分蕎麦以外だとハレの極みともいうべき雛祭りのそばが、かつてはありました。今の雛祭りでは、特にそばとは結びつかないのですが、江戸時代の江戸の裕福な家庭では、色あざやかな五色のそばをお雛様にお供えして雛祭りを締めくくりました。
雛祭りのそばも昭和のはじめ頃に廃れてしまったらしく、昭和5年に村瀬忠太郎
という東京のそば屋さんが書いた『蕎麦通』という本には、雛蕎麦の滅びゆくよ
うすをこう書いています。
「今でも古式を重んぜられる旧家からは、五色蕎麦の注文が出る。するとたいて
いの蕎麦屋ではこの製法を知らず、古老に尋ねてやっと五色蕎麦の様子を聞き、
茶蕎麦の青いのを頭に、他はうどん粉の勝った(小麦粉のほうが多い)蕎麦に色
粉(合成着色剤)を入れてお茶を濁している・・・」
それからハレというほどではないけれども、日常的なちょっとしたご祝儀にそば
を使う習慣もありました。たとえば引っ越し先でご近所にそばを送る引越蕎麦と
か、芝居小屋で満員のお客が入ったときに興行主が劇場関係者に振舞う大入蕎麦
とかです。
また昔の農村では、自分の畑で採れたソバを石臼で碾いてそばを打って、大事な
お客をもてなしました。たいへんな手間ひまのかかることですので、それゆえに
ごちそうだったでしょうね。
今でこそ蕎麦は庶民の食べ物だということで、安くて盛りの多い事を誇るだけの
貧乏臭い食べ物に落ちぶれてしまいましたが、むかしの庶民のほうが豊かな蕎麦
文化をもっていたようです。
以上は、わたしの乏しい知識であまりご参考にならなかったと思いますが、なにとぞご容赦ください。