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江戸時代のそば屋

2013年02月14日 

 いつも勉強させていただいております 江戸時代と今では生活環境が違いますが、どうしても今の感覚で考えてしまうところがあり、しっくりしません。

 そばをゆでる燃料や火力調整、また食材の仕入れ先(問屋等が沢山あったのか)そこからの運搬方は、夜の店の明かりは、と疑問だらけです。

 また江戸の町は水事情も大変なわけでその辺はどうだったのでしょうか、 出前にしても、10人以上の注文を一気にこなせたのでしょうか?また店からの運搬方は、どのようにしていたのでしょうか、出前はすでに天保のころからなのでしょうか。振り売りや、辻売りはゆでめんと思いますが、保管方はどうしていたのでしょうか。 今の時代が固定観念となっていて多くを見落としがちになります。電気も冷蔵庫もありませんから。     

よろしくご享受ください。

 答   

・そばをゆでる燃料や火力調整

薪です。戦前まで薪のそば釜を使っていた店は多かったようです。かまどでそばを茹でたことはありませんが、小さいとき父方の実家にはかまどがあり、そこに行った時、朝使うお湯を大きな釜で沸かすのが私の役でした。小学校の3・4年だったと思います。

意外と早く沸きます。火力調整は薪の量と薪の大きさです。木っ端のようなものは早く燃えるし太い薪はゆっくりと燃えます。火かき棒や火吹き竹でも調整します。火力を落としたい時は火のついた薪を引き出し火消壷に入れて蓋をしますと消し炭になります。

母方の実家には五右衛門風呂がありよく風呂焚きを手伝っていました。やりかたはかまどと同じです。余談ですが五右衛門風呂で思い出すのは底が熱いので丸いぶ厚い木の板を踏んで入るのですが、慣れないとこの板が勢いよく浮かんできてあごを直撃します。 かまども五右衛門風呂も都会では専門の職人が居たと思いますが、田舎だと左官さんがやっていたようで、どこそこの左官さんの作ったかまどや風呂は早く沸くとか、薪が半分ですむといったことをおとなたちが話していたことを覚えています。そば屋のかまども職人さんによって随分違っていたのだろうと思います。

もう鬼籍に入られた老舗のそば屋のご主人の書いたものによれば、釜前というのはかまどの火の中心をどこに置くかとかで釜の中のお湯をコントロールしながらそばを茹でていく高度なテクニックが要求され店によっては独立した職人として、そばを打つ板前と双璧をなしていたそうで、そばのコンディションの悪い時は釜前の腕で補ったりしていたそうですが、それが中が悪いとお互いに足の引っぱり合いをして、まずいそばをお客に出すはめなるので、この関係を注意するのが主人や女将さんの重要な仕事の一つだったようです。

・食材の仕入れ先

食材にもよりますが、商店も問屋もありましたので、それぞれのそば屋によって仕入れ方も違っていたと思います。そば粉に限れば製粉業者がありました。製粉業者みずから玄そばを仕入れて碾く事も、そば屋が独自ルートで仕入れた玄そばを預かり注文に応じて粉にする事もあったようです。ちなみに租税つまり年貢ですが雑穀であるソバにもかけられていました。ソバの栽培の盛んな藩や奨励していた藩は特産品として大消費地の江戸でいろいろ売り込みをかけていたようです。多くは江戸郊外の多摩あたりで穫れたそばだったようです。

・運搬方法

道が狭かった事もあって運搬方法は基本的には人力だったと思います。東京の街は今でも車も入らないような味わいのある路地や迷路のような路地ははいくらでもあると思います。量が多ければ荷車、運河沿いなら船と言う方法もあったと思います。今でこそ運河は蓋をされたり埋め立てられて道路になっていますが、江戸は水上交通の発達した街でもありました。家康の時代から水上輸送の重要性に注目され、川の流れを変えたり運河を作ったりしています。今でも老舗の問屋の多い日本橋は東海道の起点というだけでなく、水上交通の基点でもあったようです。東京オリンピックに合わせて首都高を整備するのに用地買収の必要の無い運河や川の上に道路を作ったもので日本橋は立体交差の下で空の狭い日陰のイメージがあるのですが。

・夜の店の明り

基本的には、昼間の営業が主だったと思います。 今の時間になおすのは難しいのですが、江戸時代の時の決め方は日が昇り始める時間をを明け六つ,日の沈む時間をを暮れ六つとしてその間を分割するものですから季節により明け六つが今の4時ごろの事もあれば、6時過ぎのこともあるわけです。要するにお天道様が出たら働き始め、沈んだら寝ると言うのが当たり前だったわけです。

また深夜になると防犯のため町ごとにある木戸が閉められ人の移動も制限されていました。時代劇で泥棒が屋根の上を走るのは木戸を避けるためです。

一般的には、照明は油です。いわゆる行灯ですね。安い物は魚油、化けネコが舐めるヤツです。高級品は菜種油やごま油を使います。油は液体ですので火を付けたままでの持ち運びに向いていません。ロウソクが提灯や補助的に使われる燭台に使われていました。ロウソクは今は石油から取ったワックスから大量生産できますが、江戸時代はハゼという木の実からとったいわゆるハゼ蝋が主な原料で、一本一本手作りですから相当な高級品だったようです。いわゆる和蝋燭は木の棒に紙を巻き付けたものを灯心とします。

今のロウソクはわざと片寄りのあるヨリをかけた糸を灯心に使い、使っているうちに灯心が長く出ると自然に糸の先が炎の外に出て燃えてなくなり灯心が一定の長さより長くならないようにしていますが、和蝋燭は灯心がまっすぐな棒ですから使っているうちに灯心が長くなってしまいます。灯心が長いと炎が大きくなり揺らぐので明るさが安定しません。時々はさみで灯心を切ってやる必要があります。たしか灯心を切る専用のはさみもあったと思います。

・江戸の水事情

東京は縄文時代はほとんど海でしたし、土地の多くは江戸時代以降の埋め立て地ですので、いい井戸は少ないようです。浅草辺りでも穴を掘ると塩水が出て来るそうです。都市の発展には水は必要不可欠ですから江戸開城以来は百年以上かけて水道を整備しました。

井の頭公園は江戸初期からの水道の水源の跡地を公園にしたものです。 有名な玉川上水が完成したのが1654年、これ以降江戸は急速に発展していきます。 水道と言っても今のように蛇口がついているわけではありません。水道井戸ともいわれるように外見は井戸です。時代劇で長屋のおかみさんたちが井戸端会議をしているシーンがありますがあれが水道です。

地中に樋を通し井戸の真下に水が溜まる穴を掘り、またそこから別の水道井戸に樋を通していました。使うたびに水を汲むのではなく台所に水桶や水がめを置き汲み置き泥などを沈殿させていたようです。今ほど衛生的なものではなく年寄りが生水を飲むと下痢を起こしたりする事から「年寄りの冷や水」などという言葉も生まれたようです。

そば屋もいい地下水のあるようなところでなければ、水道の水を使っていました。もちろんいちいちそばを茹でるたびに水を汲むのではなく大きな桶や水がめをいくつか用意し水を使う場所に配置していました。江戸の水道は江戸っ子の自慢だったらしく「水道の水で産湯を使う」というのが江戸生まれの生粋の江戸っ子を意味していました。

水道の管理は町役人に委託され各戸から管理料を徴収し樋の掃除などを定期的にしていたそうです。たしか松尾芭蕉は江戸に出たばかりの時しばらくこの管理料の徴収係などをしていました。

・出前

江戸時代の出前は17世紀末元禄あたりには既にあったようです。元禄時代に吉原のそば好きの花魁がよく出前を取っていたそば屋の汁が醤油とみりんだけで作ると書いたものを見かけ早速汁の試作をした事があります。

歌舞伎十八番の「助六」にはうどん屋が大きな出前用の箱を担いで登場します。この箱の事を慳貪箱(けんどんばこ)と呼びます。助六では箱一つを棒の先にぶら下げての登場だったように思いますが。前後に2つぶら下げた出前持ちの浮世絵を見た記憶があります。 また汁徳利を腰にぶら下げセイロを30以上積み上げて運ぶ出前持ちを描いた浮世絵を見た事があります。セイロを50枚位重ねて運ぶ出前持ちはざらだったようです。人ごみの中曲芸師の様に高く積み上げたセイロを颯爽と運ぶ姿は目を引きます。人気のそば屋の出前持ちは、今人気の写真集まで出ている佐川のセールスドライバーのような存在だったようで粋な職業とされていました。

吉原など遊郭や花街と呼ばれる場所は自前の調理場を持つところはなくほとんどが客の注文に応じて仕出しや出前を取っていました。料理をしても仕出しや出前が来るまでの酒のつまみ程度(いわゆる「突き出し」というヤツです)です。客も料理が目的でいくところでもありませんし。というわけで遊郭や花街の近くには必ず出前をする、そば屋やうどん屋がありました。吉原ができたのが1617年だということなのでそのころには出前をするうどん屋はあったと思います。

・ゆで麺の保管方法

私が20代の頃今から30年前は冷蔵設備の無い立ち食い蕎麦・うどんの店はざらでしたし、かすかにムレた様な匂いの蕎麦、うどんにお目にかかる事も珍しい事ではなかったよう思います。それを胡麻化すために薬味というものがあるのです。そういう店では薬味のネギの匂いの方が、なんか変、なんて事もありましたが。

18世紀の中頃に出された蕎麦全書という本のなかに、屋台のそば屋と著者の会話で茹でたそばは水に浸けて置くとのくだりがあります。 今はあまりしないでしょうが、餅の保管方法として水餅といって餅を水につけ外気を遮断しカビや雑菌の付着を防ぐ方法があります。水をこまめに替えてやれば結構日持ちします。そばも水に付けていれば乾燥やカビの付着は防げますし案外そばのアクが抜けておいしいかもしれません。

もちろん店によっては、すのこを敷いた上に並べたり色々あったと思います。 衛生基準なんてありませんし、売る側と買う側双方の自己責任というのもあります。多少お腹をこわした程度では問題にしなかったのではないでしょうか。

 

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