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  出前持の今昔(村瀬忠太郎 蕎麦通 昭和5年)  

   すべての人間が、あまりに寒がりになりすぎたことは、昔に比べて実際である。蕎麦屋の出前持の姿は、昔はとても薄着なもので、身軽なきびきびとしていたことは、魚屋と匹敵すべきであろう。

 ずっと前の時代には少し数の多い注文を受けると、ケンドン れて担いで運んだものだ。そして荷を担ぐ天秤棒は、 むく の木で造られるのが例で、天秤棒がしなって、荷が揺れないように、特に太い椋を選んで、普通の天秤の如くに後先が削ってない、一本の丸棒と同じ物だった。それを左の肩に当てるのが、通例になっていたものだ。これが後に 御膳籠 ごぜんかご になってからは椋の天秤棒なんかも 等閑 とうかん に付せられてしまった。

 でその 扮装 みなり というと、いかな寒中といえども、 腹掛 はらがけ 一つに あわせ 素袢纏 すはんてん で、決して股引を穿かずに、 素草鞋 すわらじ というのだから、見るからに寒そうな風をしていたものである。そんな扮装をしていて寒くはないかといえば、決して寒くないことはない。しかしその寒さを押しこらえて、平気で過ごしたのだから、習慣とはいいながら 剛毅 ごうき なものに違いない。

 こうして鍛えた身には、腹掛と袷と素襦袢だけで、我慢するけど、 空脛 からずね にはさすがに寒さがこたえるばかりでなく、寒い空っ風に吹きさらされていると、 ひび がきれるのが辛かったので、 鬢付油 びんつけあぶら を塗りつけてしのぎ防いだものであった。

 だから出前が一番閉口するのは、雨と雪の夜で冷たい 泥濘 ぬかるみ や雪の上を、素草鞋で踏みしめるときは、脳天まで寒さが しみ る。 腰にブラ提灯をさげているが、その提灯は竹の柄が一尺ばかり付いていて、先に鉄の鉤がはめてある。この鉤はどこへでも掛けられるに都合よく考案されたものだ。提灯の印は、大抵赤い色で屋号が、太く書き現してあった。

 現在の出前持が昔の話を聞いたら、聞いたばかりで感冒にかかりはしないかと気遣われるほど、今の扮装は寒さ知らずである。メリヤスのシャツを重ねた上に、毛糸のセーターをまとい、なおその上に、モジリか何かを着込んで、コール天の股引きという、暖かい服装をしている上に、雪や雨の日は、ゴムの長靴か何かを穿いて、自転車で出前をしている。この扮装でしかも眼だけを出して頭も、耳も、口も、鼻も、残らずつつんでしまうジゴマ帽なんぞを、すっぽりと冠って、毛糸の手袋をはめているのだから、たとえばどんなに寒くたって、決して驚くはずがない。

 それから以前は、出前持の一種の見栄のようになっていたのは、見上げるほど高く、 蒸籠 せいろ や丼を重ねたのを、決して大工が道具箱を担ぐように、肩に盆を当てないで、掌に乗せて往来したものであった。熟練の結果とはいいながら、実に鮮やかなものであったが、警視庁の交通取締規則が改正されて以来、制限以上に高く積み重ねて歩くことは、厳禁されてしまった。

 ただ黙認されているのは、単に蕎麦屋に限らず、一般の飲食店の出前が、自転車で運ぶ時に、片手でハンドルを握ることだけは、大目に見ている。しかし器物を頭に乗せて、自転車に乗ることは絶対に許されない。

 明治の末年に下谷稲荷町辺の、相応に広い空地で、蕎麦屋の出前持が、よく道具を担ぐことを、練習していたのを見たことがあった。あの辺の宿(蕎麦屋専門の口入業)にいる寄子たちが、稽古をしていたものらしい。

 昔の出前持の仕事は、出前のほかに、 燈油皿 あぶらざら を毎日のように、磨かされたものである。 八間 はちけん 行燈 あんどん というものを用いていた時代で、ランプの前だから、相当に年代は古いが、とにかくあかりといえば、贅沢な 蝋燭 ろうそく のほかには、燈心に火を とも した行燈があるばかりで、蕎麦屋では八間と称する行燈を使用していた。燈油皿は銅で出来ていて、一つの皿に左右八本ずつの燈心を入れて、照らしたものだった。

 銅の油皿を藁に灰を付けて、毎朝磨いて充分に光らせておく事が、一つの仕事として与えられていたのは、よく光らせてあると、うす暗い燈心の火が、その皿に照して、光力が補われるからである。

 そのほかには水汲みが、相応に骨の折れたもので、井戸は大抵家の外にあった。その水を汲み込むのに、八升くらい汲める 釣瓶 つるべ だから、普通のものから比べると、よほど大きなものだ。井戸側に踏みまたがって、八升の釣瓶を竿で汲み上げる。これが浅い井戸ならまだしも、三 かわ 四側の深いものになると、汲み上げるだけで、かなり力を要する、それを井戸の傍に造られた箱の中に入れると、 懸樋 かけひ が通っていて板場に備えてある大桶に流れ込むようになっている。蕎麦屋に水は大切なものだから、絶えず充分に たた えておかなければならぬ。

 蕎麦を洗うのに、冬は汲み置きにした水でも差し支えないが、夏は絶対に汲み置きは用いられない。そのたびごとに冷たい汲みたてを必要とするから、これがかなり骨の折れる仕事としてあった。

 燈火と水とで、必ず毎日の如くに、苦労をして来た昔のことなぞは、今から考えると、及びもつかないであろう。だからどう見ても、今の方がすべての点から、はるかに楽になっていることだけは事実である。

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