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すべての人間が、あまりに寒がりになりすぎたことは、昔に比べて実際である。蕎麦屋の出前持の姿は、昔はとても薄着なもので、身軽なきびきびとしていたことは、魚屋と匹敵すべきであろう。 ずっと前の時代には少し数の多い注文を受けると、ケンドンに
でその
こうして鍛えた身には、腹掛と袷と素襦袢だけで、我慢するけど、
だから出前が一番閉口するのは、雨と雪の夜で冷たい
現在の出前持が昔の話を聞いたら、聞いたばかりで感冒にかかりはしないかと気遣われるほど、今の扮装は寒さ知らずである。メリヤスのシャツを重ねた上に、毛糸のセーターをまとい、なおその上に、モジリか何かを着込んで、コール天の股引きという、暖かい服装をしている上に、雪や雨の日は、ゴムの長靴か何かを穿いて、自転車で出前をしている。この扮装でしかも眼だけを出して頭も、耳も、口も、鼻も、残らずつつんでしまうジゴマ帽なんぞを、すっぽりと冠って、毛糸の手袋をはめているのだから、たとえばどんなに寒くたって、決して驚くはずがない。 それから以前は、出前持の一種の見栄のようになっていたのは、見上げるほど高く、
ただ黙認されているのは、単に蕎麦屋に限らず、一般の飲食店の出前が、自転車で運ぶ時に、片手でハンドルを握ることだけは、大目に見ている。しかし器物を頭に乗せて、自転車に乗ることは絶対に許されない。 明治の末年に下谷稲荷町辺の、相応に広い空地で、蕎麦屋の出前持が、よく道具を担ぐことを、練習していたのを見たことがあった。あの辺の宿(蕎麦屋専門の口入業)にいる寄子たちが、稽古をしていたものらしい。 昔の出前持の仕事は、出前のほかに、
銅の油皿を藁に灰を付けて、毎朝磨いて充分に光らせておく事が、一つの仕事として与えられていたのは、よく光らせてあると、うす暗い燈心の火が、その皿に照して、光力が補われるからである。 そのほかには水汲みが、相応に骨の折れたもので、井戸は大抵家の外にあった。その水を汲み込むのに、八升くらい汲める
蕎麦を洗うのに、冬は汲み置きにした水でも差し支えないが、夏は絶対に汲み置きは用いられない。そのたびごとに冷たい汲みたてを必要とするから、これがかなり骨の折れる仕事としてあった。 燈火と水とで、必ず毎日の如くに、苦労をして来た昔のことなぞは、今から考えると、及びもつかないであろう。だからどう見ても、今の方がすべての点から、はるかに楽になっていることだけは事実である。 |