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 火加減と水加減  (村瀬忠太郎 蕎麦通 昭和5年) 

 火加減、水加減ということは、蕎麦には限らず何の食べ物でも必要の大事だが、殊に蕎麦の製法において板前の次に釜前と称する名人の取り扱ったものは、実に絶好の風味を活かすのである。

 釜前の職人も板前の職人に劣らぬ名人がいて、この名人の手にかかると、板前の技倆も一倍も二倍も引き立てるので、板前はいつもこの釜前に敬意を払うのであるが、当今では板前も機械に頼って気を入れなくなり、釜前も同じく機械的になって以前ほどは力も入らないことになった。何にしろ、今のように石炭を焚いて一気に釜を熱くするのでなく、薪材で燃やすのであるから、火力も衰えやすく寸時も油断が出来ない。薪材は特に大島三宅島辺から来るヤシヤという樹の直径五、六寸もある材を二つ割にしたもので、たまたまサクラなどが交じっていたが、サクラでは用に足らない。どこまでもヤシヤ一点張りで、これがなくては火加減が取れなかった。今でいうと大層贅沢な材料で、とても算当にあったものではない。長さは一尺くらいであったが、その大薪をくべるには、まず竈の中の三方を灰で小高くならし、中央に凹所を作って奥へ奥へと燃やし付ける。もっとも今のかまどは石炭を焚くから後部に煙突を設け前蓋をする装置になっているが、以前は薪を焚くのだから前部は開けっ放しですぐ上に煙突を設け奥から燃し付けたものだ。薪が短くなると、それを片脇へ寄せ、新たにまた薪材を入れる。奥の方で火が燃えていなければ火力は効かないから瞬時も目を離されない。こんな苦労を日々夜々繰り返して行くので、自然と火加減のコツを会得するのであった。蕎麦の太切りと細切りとによっては無論茹で加減がある。これも火加減が第一で、この釜前が一人前の腕になるまでには、相当の年季をいれたものだった。現今では石炭という重宝な物があるから、火加減の苦労も大いに減じ、よほど楽になったようでもある。

 蕎麦を茹でるには湯の沸騰を待たなければならない。湯の沸騰することをこの世界では『釜が来た』という。沸いて来たという略である。釜が来たところで蕎麦を入れて茹で箸で湯に逆らわぬよう前後に廻す。強く廻すと蕎麦が切断する。湯の新しいと否とによるが、沸騰が三回ないし五回になった時、揚げ笊を入れてすくい上げる。そうして手早くツラミズを打ちかける。

 次に水加減である。ゆで上がった蕎麦を揚げ笊に取り上げ、流しへ出して洗桶の水を注ぎかける。これをツラミズと称す。この水で蕎麦に持つ熱を取るのである。ツラミズを直接に熱い蕎麦に打ちかけると、蕎麦はそこから切れるから、右手に片手桶を持ち、左手の五指を拡げて蕎麦の上におおい、直接に水を当てぬ防ぎをする。かくて熱を減じて洗い桶に移したらば、左手で揚げ笊を左右に揺り動かしながら右手で蕎麦を晒す。それは水の新陳代謝を善くするので、もそこの左手の動きを怠ると蕎麦の晒し方は平均を失ってまずい物が出来る。こうして一様に冷却せしめる扱い方が秘訣であるが、不精をして粗漏な扱いをすると、器に盛るときにさらりと一本一本に分かれない。四、五本も粘着したものがあったり、一塊になって伸びないすじがあったりする。下手な釜前に扱われては蕎麦は台なしである。いわんや茹でが前であったり、茹で過ぎであったりしては、客の受けも悪く、こんな釜前は却って技倆まで殺してしまうので、板前は不平たらだらついに好い蕎麦を打たなくなるのである。

 板前と釜前を一人で受け持つほどの蕎麦屋だと、自分で調和を取って行くから比較的不出来な結果は見ないが、こうした店でにわかに客が立て込んだり、多数の註文があって、一人で手が廻らぬ時には必ずいずれかの一方に手ぬかりが生じて好い蕎麦が出来なくなる。それでも心得があって火加減、水加減の判っている人には、そんな失策はないとしても、それは容易に望まれぬことである。

 水質の良否はまた大いに蕎麦の味を左右する。水の温度が低ければ低いほど成績は好い。ある蕎麦好きの人は蕎麦屋へ行って蕎麦の註文をする時に、何気なくお冷を一杯下さいと所望して水を以て来させ、生水を一口味わって見て、それでその店の水質を試験する。水が良くても冷たければ、したがって蕎麦の味も良いという信用をおいて蕎麦の出来を待つのだ。こんな人はまず百人に一人もあるなしかだけれど、蕎麦屋の方でもなかなか気を弛めてはいられない。

 古伝

 貞徳文集に曰う。煮え候ていかきにすくい、ぬるま湯の中に入れ、さらりと洗い、さていかきに入れ、煮え湯をかけ、蓋をして冷めぬように、また水気のなきようにして出してよし。

 

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