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 一本饂飩(村瀬忠太郎 蕎麦通 昭和5年)  

 深川浄心寺の前に、ヤホキという 饂飩 うどん 屋のあったのは昔のことで、饂飩のほかには他の麺類を一切売らなかった。しかも饂飩も普通の饂飩ではなくて、一本饂飩というものだけを売っていたのである。

 この一本饂飩が、非常に珍しいものとされて、ヤホキというよりは、 かえ って深川の一本饂飩というのが、 暖簾 のれん 名となったほど遠近に名が高くひろまった。奇を好むことにおいて、 躊躇 ちゅうちょ をしない江戸ッ子は、路を遠しとせずに、一本饂飩の試食に出かけたのである。

 それがためにヤホキの店は、非常な賑わいを呈したことは素晴らしいもので、客止めする繫昌振りであった。評判が高くなるにつれて、すぐに模倣をする者が出るのが常であるが、ヤホキはこの製法を、他に うかが わしめなかったものか、他でこれを真似ても、味においても製法においても、到底比較にならなかった。

  ヤホキの一本饂飩は、普通の饂飩の太いもので、そのおおきさは親指ぐらいのものが、丼のうちにただ一本、あたかも白蛇がとぐろを巻いているようにいれてある。これが極めて柔らかくて口当たりがよく、箸で食いやすい長さに切り、汁をつけて食うのであるが、酒の 下物 さかな にも適し、飯の代わりとしても、一碗で足りるというのであった。

 この饂飩の見事な事は、切口が鮮やかに四角の形を保っている上に、芯まで柔らかく火のとおっていることである。この製法は、前日の夕方に打った饂飩を、釜中の熱湯に入れ、ある程度まで茹でて後火を引き、蓋をしたまま一夜置き、 余燼 よじん のほとぼりで煮込んだものらしい。だから売り切れとなると、すぐに看板を下ろしてしまい、客がどれほど註文しても、断って応じなかったといわれる。

 打ち加減にも湯加減にも、かなり技倆を要したものと見えて、その家で売っていただけで、今ではどこにも一本饂飩のある事を聞かぬようだが、こういう変わったものは、現存しておく事も結構だと思う。京都とか名古屋とかに、これに類するものがあるという話を、耳にした事があるが、果たしてどんなものであるが。

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