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  関西方面の蕎麦 (村瀬忠太郎 蕎麦通 昭和5年)  

 蕎麦好きは一般に関東が多い。関西方面では饂飩うどんの方を、蕎麦よりも余計用いる傾きがある。だから看板には必ず「東京蕎麦」の文字が、現わされているところを見ても、よく解ることである。

 須磨にある「敦盛あつもりそば」の如き、特に蕎麦によって有名であるのは、関東における下総印旛沼畔にある「甚平そば」と同様で、蕎麦そのものよりも、むしろ歴史と結びつけたために、いっそう天下に紹介されている。一は源平の合戦という華々しい舞台に現れた若武者敦盛の悲壮な最期を背景に、一は義民佐倉宗吾に絡まる渡守甚兵衛によって、有名になっているのである。

 しかし大阪にも、昔から評判の高い蕎麦のあったことは、『浪華百事談』などの書にも、記されている。

 大手筋錦蕎麦
  錦蕎麦と呼びて、商う蕎麦舗は、大手通り谷町筋より、少し西の北側にありしなり。三、四十年前は、大阪市中に蕎麦のみ打ちて売る売舗は、二、三軒よりなく、麺類を売る家も今の如く多からず。殊にこの錦蕎麦は古き名にて、その製のよろしきを持って、大手蕎麦ともいいて、人賞して求めしものなり。

 田葉清の蕎麦
  心斎橋 しんさいばし 南詰の東半丁ばかりのところに、天保中田葉清といえる蕎麦屋あり、もっとも尋常の麺類店にはあらず、蕎麦のみを商う家にて、その頃有名なりし、文政天保のころには、蕎麦のみ製し商う家、大阪市中には至って少なし、この家の製するものもっとも佳品なりし、弘化嘉永の頃までありしかと覚ゆ。

 現在評判の店
 元来大阪方面では、饂飩を好むが、蕎麦はあまり好まない関係上、その調理法には、大阪特殊の物といってはなく、全部が東京の調理法を学んでいるが、大正十二年の関東大震災後に、田毎、やぶ、更科等の、東京で有名な蕎麦屋が、大阪に進出して、蕎麦の宣伝を行った結果、最近では、饂飩の代わりに汁の多い蕎麦が好まれ、その調理方法には、一般に汁を多く用いる傾向がある。

 大阪市内における有名な家で、うまい蕎麦を売っている店としては、南区にある三件が、代表的のものであるようだ。

  新戎橋しんえびすばし北詰 みみう 
 この家で製する評判の蕎麦では、うずら蕎麦、あなご蕎麦の二種が、特に美味だと言われている。

 道頓堀 更科本店
 この店では、かけ蕎麦と笊蕎麦を、美味だとされている。

 心斎橋通 大丸食堂
 大丸呉服店の食堂で売るのだから、更科あたりが出張しているのだろうと思うが、特に美味と言われているのは、茶蕎麦と鯛めんである。

 大阪府下の蕎麦耕作地は、極めて僅少なもので、豊能とよの郡・泉北郡・南河内郡・北河内郡の五郡全部で、七反歩しかなく、年額は八十三である。

 関西方面での蕎麦の名産地は、滋賀県阪本が屈指で、同地の蕎麦切りは、名物の一つとなっている。

 関東に比べて現在ではほとんど問題にならない関西地方も、次第に蕎麦の嗜好者が多くなって行くことは事実である。

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