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 昔の器物 (村瀬忠太郎 蕎麦通 昭和5年)  

 天保から慶応までの事を記した『 守貞謾稿 もりさだまんこう 』にこういう事が書いてある。

 盛り道具

 江戸はニ八の蕎麦にも皿を用いず。外面朱塗り内黒なり。底横木二本有りて竹簀を敷き、その上に蕎麦を盛る。これを盛りといい、盛蕎麦の下略なり。

 かけ道具

 だし汁かけたるを上略して掛といい、かけは丼鉢に盛る。天ぷら、花まき、しっぽく、あられ、なんばん等、皆丼鉢に盛る。

 盛り鉢

 十六文の 饂飩蕎麦共 うどんそばとも に平皿に盛る。常の肴皿の粗なる物なり。しっぽく以下は或は平に盛る椀なり。 小田巻 おだまき は大茶碗に盛る、蒸すゆえなり。二八饂飩、だし汁かけ、湯漬けともに平皿に盛る。しっぽく 安平鶏卵 あんぺいけいらん の類平椀に盛る。椀は朱あるいは黒塗なり。

 現在では盛り蕎麦は、ほとんど 蒸籠 せいろう になっているが、百貨店の食堂では、平皿に盛った蕎麦を見受ける。

 道具で最近無くなったものに、薬味箱と 湯桶 ゆとう の二つがある。薬味を入れた箱は、外面を朱の漆で塗った、長方形をしたもので、内部を三駒に仕切って、葱、唐辛子、大根おろしの三種が入れてあったものだ。そして客は勝手にその薬味箱から、摘まんで入れるので、衛生上はなはだおもしろくないから、廃止になった事は、むしろ結構である。湯桶はかなり大きな四角な木製の朱塗りで塗った器で、蕎麦湯を入れて出す。口が正面を付いていずに 隅の方に長く出ている。一種の変形をなしたものであった。蕎麦屋に限って客には茶を出さず、食い終わって後に蕎麦湯をこの湯桶に入れて出すのが例になっていた。今では土瓶に入れたものを出している。

 定紋付きの通箱

 昔は 蕎麦切申遣 そばきりもうしつかわ しそうらえば、皆々桶に入れて差越し候よし。 小伝馬町 こでんまちょう 二丁目原の半兵衛という勝負師あり、集りて 博奕 ばくち せしに、毎日蕎麦切買いけるに、膳椀に迷惑して小さく小箱を こしら え四ツ五ツ蕎麦切屋に よこ し、これに入れて越し候様にとあつらえける。是は手廻しよく重宝と云いて、我も我もと作りて後、紛れぬように小箱に銘々の紋所をつけ、うんどんやより持来るに目立ちしゆえ、そと家々して持運ぶ。牢屋表門前に太田屋二郎左衛門とて古道具屋あり、彼が工夫して色々膳に汁次付けて拵え出す。何がはや江戸中へはやり出して太田屋は 大分限 だいぶげん になる。一人に一ツ ずつ の当り前ゆえ、 やが て異名を大名うんどんと云ふ。 大伝馬町 おおでんまちょう 横町富田屋始るとなり。( 江戸真砂六十帖 えどまさごろくじゅうじょう

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