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  信州甲州の蕎麦 (村瀬忠太郎 蕎麦通 昭和5年)  

 寝覚蕎麦
 木曽路を旅する者は、誰も寝覚の床の絶景を見ずには過ぎない。それと共に必ず寝覚蕎麦の名物を味わうであろう。その蕎麦が、果たして何人に 賞玩 しょうがん されるほどのものであるか無いかはともかくとして、木曽の名物として数えられれ天下に有名になったことは、絶景のお蔭であるのは言うまでもない。

 しかし中央線の鉄道が開通してから、木曽街道の旅は極めて旅気分を失った。あわただしいものに変っているから、寝覚を見物するにしても、汽車の時間を気にしているので、一向に落ち着いてはいられない。したがって名物の蕎麦も、ただ啜り込んでしまうのだから、旅は気分であると共に、その土地土地の名物の味もやはり気分によって、うまくもまずくも味われる。

 木曽の寝覚は絶景である。その絶景を展望し得る街道の旅館 田瀬屋たせやに休憩し、 茶を一杯啜っている間に、手打ちの蕎麦を註文によって食べさせる。これが昔から続いて今日に及んでいるので、特に蕎麦そのものが美味ではなくとも、名物となるのは当然である。

 御嶽蕎麦
 甲州御嶽の蕎麦も、寝覚蕎麦と同様に、すこぶる評判が高い、しかし木曽とは異なって、最近にその名が広まったのだ。この蕎麦とても、別段に特別の風味を持ったわけではない。交通の便に乏しい山嶽重畳 ちょうじょう たる僻地で、米の収穫が多くない関係上、この地方では米や麦の代用食として、用いていたものだと言われている。

 御嶽の勝を訪れた人に対して、格別他に馳走するものがないために、その蕎麦を打ってもてなしたのが、次第に評判になったに過ぎない。御嶽は甲府から四里、山を登って訪れた人の咽喉をうるおす清冽な水以外には、空腹を満たすこの蕎麦ぐらいが馳走になっていた関係上、評判になったに過ぎない。そして仙境御嶽が、世に紹介されるにしたがって、蕎麦が名物として数えられるに至ったのであるが、しかし山梨県下の蕎麦は、最近機械打ちが多くなった中に、御嶽蕎麦は依然として手打ちであるから、味は一般に比して、たしかに優れていることは事実である。

 蕎麦旅籠
  天野信景 あまのさだかげ の 『塩尻』に、

 蕎麦切りは甲州より始まる、初めて天目山へ参詣多かりし時、所の民参詣の諸人に食を売りけるに、米麦少なかりしゆえ蕎麦をねりて旅籠とせし、其後饂飩を学びて今の蕎麦切とはなりしと、信濃人の語りし。

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