蕎麦の産地(村瀬忠太郎 蕎麦通 昭和5年)
江戸時代に諸大名から将軍家への献上物は、
年初八朔
の御太刀金銀馬代、
端午重陽歳暮
の
御時服献上
といった定式のものの他に、
時献上
と称してその時候にしたがっての献上物が定められてあった。
今、『
大成武鑑
』時献上の記録から蕎麦とうどん粉の献上を抜摘して見ると、二百六十六家の中で、左記の九家から蕎麦を献じ三家からうどん粉を献じている。これがその領地の名産となっていたからである
寒中挽抜蕎麦……上野国甘楽群小幡城主二萬石松平大蔵少輔忠恕
十月蕎麦……信濃国水内群飯山城主二萬石本多豊後守助賢
十月、十一月の内引抜蕎麦……武蔵国榛沢郡岡部在所二萬二百五十石余安倍摂津守信実
寒中殻蕎麦、暑中うどん粉……上野国邑楽郡館林城主六萬石秋元但馬守志朝
暑中信州寒晒蕎麦……信濃国伊奈郡高遠城主三萬三千石内藤駿河守頼寧
十一月蕎麦……上野国利根郡沼田城主三萬五千石土岐美濃守頼之
暑中寒晒蕎麦……信濃国諏訪郡高島城主三萬石諏訪稲葉守忠誠
寒中引抜蕎麦……出羽国村山郡天童在所二萬石織田兵部少輔信学
十月、十一月の内蕎麦……下野国那須郡大田原城主一萬千四百石余大田原飛騨守富清
五月うどん粉、暑中うどん粉……下総国印旛郡佐倉城主十一萬石堀田備中守正睦
暑中うどん粉……下総国結城郡城城主一萬八千石水野日向守勝進
蕎麦は我国のいずれの地方でもたいてい産出するが、気候の関係と地味の適否によって、大いに品位に差異を生ずる。『蕎麦志』には、
信濃国 産出多額。埴科産を以て最上とす。
武蔵国 多摩郡、多く産す。深大寺蕎麦の称あり。近世箱根ヶ崎及び村山辺より夏蕎麦を出す。北豊島、新座の両群産又佳。 上総国 佳品。その額武州の半に過ぎず、夏蕎麦を産せず。
常陸国 夏蕎麦は武州より多産、秋蕎麦は少なし。
下総国 佳品を産するも甚だ多からず。又夏蕎麦を出す。
下野国 佐野、日光、足利の地良品を出す。
近江国 伊吹山下を最上とし、桃井之に亜ぐ。高島郡にては日爪、大供の産を第一とす。
山城国 愛宕郡柊野産を最極上とし、宇治郡山科之に
亜
ぐ。洛南の産不良。
丹波国 北桑田郡弓削、中村、宇津産最佳。
河内国
摂津国
阿波国 産出多し。又米蕎麦を出す。国人甚だ之を好む。
紀伊国 日高の産最量
石見国 産出多し。安濃郡三瓶山の産佳。
備後国 前島の産最良
薩摩国 多く鬼蕎麦を産す。
稍
香気少なし。
対馬国 産出多し。朝鮮地方に之を輸出するあり。
と掲げているが、現在は産出地方も変革を来し、産額にも消長がある。それは別章に記すことになる。 |