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  総説 (村瀬忠太郎著 蕎麦通 昭和5年)

 今の東京の蕎麦は、明治以前の蕎麦に比してひどく蕎麦らしくなくなった。その近因としては、機械打となって以来、未熟の人にも容易に製造し得られ、形骸にのみ偏して真の風味という事には、専門的な注意が徹底的に払われなくなったからだと思われる。そうして製粉事業が製粉家の手に還った時代から、蕎麦屋はその原料を選択する自由を失い、特殊の産地を限定することが至難となった。製粉家の手に渡る原料はいよいよ広汎な地域に及んで、供給の豊足を はか るために粉の素質を局限するいとまはなくなった。一方機械の操縦が簡単なので、素人で蕎麦屋を経営するものが え、同業者は累年増加して価格の競争をする結果、品位はますます堕落する。年を経るに従って職人の巧者なるものは世を辞して後継者に乏しく、見よう見まねの板前ばかりになって、真善真美という旨い蕎麦の味を知らない人のみが従事するものだから、自然世間の嗜好から退けられ、今はほとんど貧乏人が飯の代わりに喰うもののようになって、お客の方でも 珍羞 ちんしゅう としては受取られず、蕎麦屋の方でもただ腹を脹かす代用食を差上げる気になって、時に同業の多いことをかこち、いたずらに註文の少ないことを嘆く有様であるが、それで機械でなし得る以上に、改良とか進歩とかいうことには熱中しないから、まずい蕎麦ばかり作られるのは当然だ。うどんとも蕎麦ともつかぬハンチクなものが行われるからには、したがってなまぐさい蕎麦汁が製され、よほど空腹の時でもなければ口にせられなくなった。淡白な蕎麦の風味に、複雑濃厚な脂肪や蛋白を加えて食欲をそそるためには、自然『たねもの』の方に力瘤を入れるようになる。清素な蕎麦はいよいよもって堕落の極に陥った。それで蕎麦屋は本業を棚へ上げてしまって、支邦蕎麦も売れば、てんどん、親子、鰻丼の飯も売り、汁粉雑煮の餅まで商うようになった。場末の蕎麦屋で葛餅を売り、パンを売り、カレーライスのハヤシライスのと、洋食屋の真似までしても、とても支邦料理、西洋料理、飯屋、汁粉屋の右に出ることはできない。いずれもの後塵を拝している。蕎麦屋の蕎麦屋たる面目はどこにあるか、これは深く蕎麦屋さんの自省を待つところであるが、近年蕎麦の需要家にも真の蕎麦を解される方がはなはだ少なくなったかと思われる。蕎麦を復興し蕎麦の真価を発揮することは、一に当業者の奮発にあるはもちろんだが、また一面需要家の鞭撻にも期待せねばなるまい。つくづく往時の発達を懐かしみ、区々将来の興隆を望むあまりに、需給両者の力を合わせて現在の蕎麦を救われんことを懇願する。この『蕎麦通』の各章は、ことさらに現在の蕎麦を指摘せず、過去の蕎麦と将来を念として述べたつもりである。

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