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手打とニ八の格式 (村瀬忠太郎著 蕎麦通 昭和5年)

手打とニ八の格式は蕎麦屋の店構えから区別された称呼である。たとえば門構えいかめしく、一見懐石料理茶屋かと思われる体裁で、上等の蕎麦を製して客を迎うるを常とし、女中なども小ざっぱりとして客に接する設備ある家は『手打』という。これは以前駄蕎麦屋に対して手打と云った格式の名残である。また誰しも一見して蕎麦屋と知らるる構えにて、店に入るとすぐに座席の設けがあって、衆客居並びて蕎麦を喫するように造れる家は『ニ八』と呼ぶ。これが以前駄蕎麦やと云った類である。したがってそれ以下の下等店にても、やはりニ八と称して駄蕎麦屋とは云わず。『駄蕎麦』はいかにも軽き称なれば、陰口はとにかく、面と向かっては駄蕎麦屋などとは云わない。自分に卑下して「私共のような駄蕎麦屋は」などというは、今も彼等の仲間同士に用うる謙辞である。

 要するに現今にては、手打の格式はあっても真の手打なく、二八の格式はあっても真のニ八なきこと、実質より体裁を見て格式を称するようになったからである。それも客の方から称することは稀になるゆきて、ただわずかに仲間同士の称呼となっているのみである。

 駄蕎麦をニ八と云ったわけは、もりも八文かけも八文二杯で十六文という心でニ八という称呼が普及したのだとも言われている。

 手打はニ八よりはるかに上等であったが、それでも場末に行くと、蕎麦専業では経営が立ち行かないためか、小料理を兼業した店が多かった。

 

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