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  湯川玄洋博士の食養説(村瀬忠太郎 蕎麦通 昭和5年)  

  一、夜泣蕎麦、夜泣饂飩うどん

 信州信濃の新蕎麦よりもと唄われ、信州更科蕎麦は日本一となっている。赤い茎に白い花をつけた可憐な植物である。殻皮を脱したものと脱しないものとで蕎麦粉の黒白が出来、成分も少し違って来る。蕎麦切は蕎麦粉を卵白で粘ったもので、その含水炭素の消化率は97%で比較的いいが、その蛋白質消化率は75%だから大してよろしくない。しかし消化の難易から言えば良い方である。

 饂飩は小麦粉を原料として捏ねたもの、蕎麦との差は原料の相違というまでである。も一つ似たものに索麺がある。索麺は饂飩と同じく小麦を原料とし塩水で捏ねて作るのであるが、蕎麦や饂飩と異なる点は細く切って乾燥せしめたところにある。

(分析成分)   蛋白質  含水炭素   脂肪   水分   熱価
蕎麦 13 21 65 135
饂飩 26 68 124
素麺(乾) 66 20 245
(消化率)          
蕎麦 75 97      
饂飩 93 99      
素麺(乾) 88 99      

 (消化の難易)

 胃停滞時間(100瓦)

 

蕎麦 二時三十分   饂飩 二時四十五分    素麺  三時位   

 三者を比較して見ると、索麺は乾燥して水分を少なくしてあるだけに、発生熱量は格段に多く、蕎麦も饂飩も大差はないが、蛋白質は蕎麦が多い。しかし消化率は饂飩が良いから、差し引き大差なしと見てよい。消化の難易を比較すると、索麺は最も悪く、蕎麦は最も容易である。

 ここに一つ注意を促すことがある。饂飩、蕎麦、索麺はすべて間食、おやつとして用いられる傾向があることだ。凍る霜夜の風寒く万籟死して街頭音なきとき、闇に淋しく鈴の音を聞けば、火鉢の灰も冷たく蛍火の消えかかる折とて、熱いのを一杯と食指そぞろに動く。かかるとき饂飩、蕎麦はあながち不適当な食物とは断言が出来ぬ。もちろん狐饂飩だの天麩羅蕎麦だのは、間食としては少し重すぎるようだ。饂飩一杯の栄養価はおよそ飯一杯であるが、汁たッぷりだから案外実質を沢山食わないでも腹が膨れて満足せしむる。夜更けて熱いのを啜るのは、多くは夕食後五、六時間も経った頃だから、特に汁沢山のかけ一杯に満腹して温まり、ぐッすり寝るのも若い者にとっては非常な不摂生でもあるまい。図に乗って暴食しない限り、一杯の饂飩、蕎麦は牡丹餅や炒豆の間食よりはましである。ただしそれは「時に」許されるべきで「いつも」いいとは決して言わない。健康者の間食としては汁のために早く満腹せしむるから、さして害を来すほど大量は食わないであろうと言うのである。

(『食養春秋』)

 二、新蕎麦

 桜焚いて新蕎麦の玉を炊ぐかな、秋けては蕎麦の花雪の如く「根にかへる花や吉野の蕎麦畑」は実に秋の風物を彩るもので、俳味を帯びた食品である。蕎麦の俳味を帯びていることが、あるいは江戸の人々の趣向に投じた理由であるかも知れない。饂飩が大阪の人に喜ばれるのと好対照である。新蕎麦はこの月(十月)市場に出でて嗜好家を喜ばす。けれども蕎麦に比べて新蕎麦はやや不消化である。殊に胃腸の弱い人には停滞を起こしやすく、時に下痢を誘発することなどある。しかし適当に食べておけば、決して不消化食品というわけではない。殊に蕎麦に不思議なことは、これを好む人が著しく大量を食しても何の障害をも見ない事である。好きこそ薬などというが、好きであるとしばしばこれを摂っても胃腸はそれに応ずる習慣を得て消化力が高まっているのかとも考えられる。ただ注意すべきは、深夜にこれを大食して臥床に入ったりすることはいけない。食事の時間を選んで適宜に食べるのがよい。調理法の消化関係は、蕎麦がきにするよりも蕎麦麺がやや消化しやすいようだ。

(『食養春秋』)

 

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