そばのコシ | |
2011年 8月 1日 | |
■ 少年時代の思いで そば屋の暖簾をはねあげ,「もり!硬めにサッと茹でてくんねえ。」なんてイキですよね。「通」ぽくってかっこいいし。 山口県のど田舎で育った私には縁の無い世界です。 日本中でそうだったかどうかわかりませんが,あのころのそばは不味かったですね。そばに限らず麺の多くは,芯まで火が通るように茹でるとニチャニチャになる物が多かったように思います。 今から考えると,質の悪い強力粉をベースに,少量の質の悪いそば粉あるいは黒粉 (そば殻を粉にしたもの,法律上はそば粉に分類されます。)を混ぜて物だと思います。山口県でそばが好きなんていうと変人扱いされていました。 麺といえば、山口県のお隣の福岡県の博多ラーメンも芯まで火を通すとニチャニチャになっていましたね。ニチャニチャになりがちな麺をおいしく食べる唯一の方法が、芯が残るような硬めの茹で方でした。少年時代の私も麺類は硬めに茹でた方がおいしいと思っていました。
中学生のときだったと思います。地元の製麺会社が出した新製品の半乾麺のそばを近所のスーパーで買ったときのことでした。レジのおばちゃんが「(このそばは)袋に3分て書いちょるけど5・6分茹でた方がええよ。ようけ(いっぱい,たくさん)茹でても糊にならんけえ,芯がなくなるまで茹でた方がええよ。」と教えてくれました。 新製品のお試し価格で安かったから手に取っただけで,すぐに食べるつもりはなかったのですが,メーカーと販売者で言うことが違う。これはすぐに確かめなければなりません。帰宅してすぐに2食分入りの1食分を3分,残りを6分茹でてみました。 なるほど!レジのおばちゃん偉い。今なら,レジ係がそんなことを言ったら気分を害する客もいるでしょうし,メーカーからクレームが来るかもしれません。昔の田舎の良いところです。 後日そのスーパーで同じそばを買ってレジで「これおばちゃんの言うとおりじゃったよ。」というと「じゃろ (そうでしょう) 」と笑っていました。
このころから,徐々にですが,そばに限らず機械製麺の乾麺や生麺の質が向上して,芯がなくなるまで茹でると表面が糊のようにニチャニチャするニチャニチャ麺が少なくなったような気がします。今ではニチャニチャ麺はほとんど見られなくなりましたが,なぜ芯の残った硬い麺が好まれるのでしょうか。流行とかもあるのでしょう。
パスタはアルデンテといって,針の先ほどの芯が残っているのが良いとされています。私は,これは茹で上がり状態で僅かに心を残すことでソースにからめめたり,再加熱や時間経過を考慮するもので,食べるときには丁度芯が無くなっているのがベストだと思い込んでいました。だから生のトマトなどを使った冷製パスタなどは芯が完全になくなるまで茹でて,冷水で〆ていました。 ところが20年近く前,とある店でスパゲッティミートソースとコーヒーを注文しました。出てきたのはしっかり芯が残ったものでした。今まで食べてきたパスタのプチプチした食感もシコシコした食感もなく,ハヌカリはするし,生の小麦の匂いが口の中に残るし,まるで砂を飲み込む様な感じで,とても食べにくく感じました。 私は出されたものは残さないことを信条としておりますので相当食べ難い物でも完食する努力をします。この時もサービスに出た水と注文したコーヒーでなんとか胃の腑に流し込みました。それだけなら,私にとって変な店に入っちゃったで済むのですが,そのとき近くの席にいた2人連れの若いOLさんらしい人の会話が聞こえてきました。 「ちゃんと芯が残っているアルデンテね」 うーん,私は間違っていたようです。 それからまもなく,テレビの情報番組でパスタを取り上げていました。皿に盛られたスパゲティの切断面のアップで針ガネほどの芯がはっきり残っているのを映し,レポーターがそれを頬張りアルデンテだからおいしい,コシがあるとオーバーにレポートするものでした。 そのとき,アルデンテは私にとって食べにくいものであることをはっきり悟りました。それ以来パスタ類を注文したことはありません。 同様の理由でリゾットも避けています。長粒種のお米ならわずかに芯が残っているぐらいがおいしいと思うのですが,粘りの強い短粒米で芯が残っているとゴッチンめし(山口弁で生煮えご飯の事)のおじやにしか思えないのです。 誤解をまねくかもしれませんが,私はイタリア料理店やイタリア料理にケチをつけているわけではありません。 大勢の消費者のニーズに応えるのが商売ですし,全部が全部芯のあるアルデンテを出しているわけでは無いでしょうが,初めて行く店にお宅のアルデンテはどんな感じですかと訊くのも面倒ですし,要するに私は本物のイタリア料理の良さを知ろうともしない田舎者のヘンクツ親爺で,外食市場の消費者としては完全な少数派なだけです。 パスタぐらい自分の好みで自分で茹でて食べればいいとも思っているだけです。自分の口で食べるのですから自分の口にあわせればいいので食べる時芯が残ったようなものは作りません。たまに茹ですぎることがありますが,芯が残っているものよりずっと食べ易いと感じています。私は,料理とは食材を食べ易くする行為だと思っています。
落語で,そば通男が臨終に「1度でいいからそばを良く噛んで食べてみたかった」というのがあります。落語ですから誇張もありますし,演者によっては昔のそば事情に疎い方もいて,演者の解釈によって違います。が,要は「自分の口で食べるんだから好きに食べればいいのに,『通』て奴は妙な意地張りやがってしょうがねえな。そんな奴は『通』ぶっただけの奴だな」という笑いと教訓が含まれています。 「鰹の利いたダシ」といえば鰹ダシの素や市販の風味めんつゆを基準にして,それよりも魚臭い汁でないと納得いかない。「コシのあるそば」といえば硬い芯が残ったそばが出てこないと納得しない。 だから自分は鰹の香りが分かる「通」だ。そばのコシが分かる「通」だ。と思い込もうとしている人は,いないと思いますが・・・ 仮にいらしたとしても個人の好みの問題ですから,構わないのですが,フードコンサルタントやマーケターが「どんな味覚音痴でも分かるように違いを出したそばですょ」というコンセプトで商品企画したかのような蕎麦を基準にして,それ以外を否定しないで頂きたいのです。 本物の「通」は色んなそばを知ったうえで,自分の好みをがはっきり分かっていて,自分の好み以外のそばの楽しみ方も熟知して,他人の好みに寛容な人です。マスコミが作った流行を自分の好みだと信じ,それ以外を否定するのは,決して「通」ではありません。
「コシ」ということをもうちょっと考えて見ます。 昔のコシは,硬さだけでなく,ねばりや,たおやかさや歯切れなど複合的な歯触り,あるいは,舌触りや胃の腑への納まり具合まで含んでいたような気がします。 本来「コシ」とか「ハヌカリ」という言葉は,団子や大福など餅菓子を扱う菓子屋さんの業界用語だったそうです。そば屋は室町時代末から江戸時代初の菓子屋の店先でそばを出すようになったのが始まりだそうですから,菓子屋さんの流れで,「コシ」や「ハヌカリ」という言葉もそばに使われるようになったのかもしれません。 餅や団子では,蒸し時間が短かったり,充分に搗いてないと,硬い柔らかいとは関係なく歯切れが悪く,歯や上あごにニチャつくような食感が出るそうです。これをハヌカリといい,ハヌカリしない歯切れの良いねばりをコシと呼んでいたそうです。 そばの場合,キメの粗いそば粉やさなごや末粉まで混ぜた粉など質の悪い粉を使ったり,コネが不十分だったり,茹で不足などで,歯切れの悪いそばをハヌカリと呼び,歯切れの良い心地よい硬さをコシと呼んでいました。 今は芯が残っている歯切れの悪い硬さをコシと呼び,のびたそばを,ハヌカリと呼ぶようです。言葉は時代とともに変わるものですからそれに逆らうつもりはありません。 ちなみに,良いそばはのびても,それなりにおいしいのですが,昔の意味でのハヌカリするそばは,のびたらのどを通りません。 料理は食べ易くする行為であるというのが私の信条ですから,喜心庵をやっていたときは,食べ易い昔のコシを目指していました。その方が食べ易いからだけではありません。昔のコシの茹で方の方がそばの甘みが出易く,コンディションの良い粉でそばの出来の良いときは,のどで甘みを感じるそばが出来ます。そば通を自認される方でもそばの甘みをのどで感じた経験をお持ちの方は少ないようです。 でも喜心庵では昔のコシをお客様に強要していた訳ではありません。今のコシが好きというお客様には「かため」と注文のとき言っていただければ,対応していました。他の注文と一緒に茹でるわけに行かないという手間を除けば,気も手も抜けますのでずっと楽でしたから。 ちなみに一番難しいのは,柔らかく茹でてくれという注文です。 そばは長く茹でたから柔らかくなるわけではありません。短時間で柔らかく茹で上げ,なおかつ糊のようになるのではなく,麺の表面を荒らすことなく,柔らかいなりの歯切れのよいコシを出さなければいけないのでとても難しいのです。 こんな注文する人は滅多にいませんが,やわらかめの注文をうけたときは,お客様のところに「御希望のかたさに仕上がっていましたでしょうか」と聞きに行ったことも何度かあります。 芯の残った硬いコシが好きな方はコシがないと嘆く前に,堅めに茹でてくれとそば屋に注文してみてはどうでしょうか。よほど立て込んでないかぎり,芯の残ったような硬いそばを茹でてくれるはずです。
私個人としては,硬いそばがもっと流行ると面白いかなと思っています。 そば屋は差別化戦略として硬さを競い合い,立ち食いそばやコンビニのそば弁当も,乾麺や生麺も科学の粋をつくして硬くなります。 かたさは機械で測定されたデータが一人歩きし数値の大きさを競うようになります。大手メーカーが開発した硬さを作る技術は,そば粉や割粉への添加物の形で,一般のそば屋や中小の製麺業者に普及してさらに硬くなる・・・ 本当に硬いそばを好きな方もいらっしゃるとは思いますが,多くの人はマスメディアなど外からの情報を,自分の好みと混同しているのではないかと見ています。そういう人の多くは年齢を重ねるにつれて硬いそばを食べる体力も気力も衰えてきます。(似た例でいえば,たぶんギトギト背脂系ラーメンも?) また大きな声で硬さを愛でる人で頻繁にそばを食べる方はあまり多くはない気がします。年に10回も食べないのではないでしょうか。 硬さを食べにくさと感じる人は,声を出すことなく,そばなんてそんなものかと見限ってそばを食べなくなります。 需要の縮小がおき,昔ながらの技術を守るまじめなそば屋からから消えていき,最終的にはそばを食べる人がほとんどいなくなる。といった時代の変化を見てみたいような気もするのです。
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