節分そば 

  2009年2月1日
2011年 1月31日加筆
 


■ 節分そばとはなにか
節分といえば、豆まき、いわし、巻寿司ですが、昔は節分にそばを食べるならわしがありました。しかも『蕎麦事典』(新島繁著)によると、節分に食べるそばの事を「年越しそば」と呼んでいたというのです。ようするに「節分そば」というのは「年越しそば」のことだったのです。

江戸で毎月月末にそばを食べる晦日そばの習慣と、節分の年越しそばが混ざり合って、今の大晦日の年越しそばができたのではないかと私はかんがえています。

 年越しそばなら大晦日にすましているので、もう今さら節分そばでもないような気がしますが、商業主義っていうことなのでしょうか、最近はスーパーなどで「節分そば」を見かけるようになりました。かつて大阪の海苔屋と寿司屋が強引にはやらせた節分の巻寿司みたいに定着するのでしょうかね。

■ なぜ節分に年越しそばなのか
 しかし、なぜ節分に年越しなのか? 風水では立春から新年が始まるという考え方があって、立春の前日である節分が年越しになったということらしいのです。じゃあ、立春から新年だったら正月は何なんだっていう話ですが、旧暦には月の運行をもとにした元日と、太陽の運行をもとにした立春と、二つの正月があったということかもしれません。

それに、今の暦だと正月と節分・春分は1ヶ月以上はなれていますが、旧暦だと数日の違いしかありません。ですから、節分も正月行事の1つだと昔の人は考えていたのかもしれません。ちなみに2010年だと、旧暦の元日は2月14日、節分は2月3日、立春は2月4日になります。

■ 年の内に春は来にけり
 年の初めが元日なのか立春なのか、ややこしい話ですが、昔の人も混乱していたようです。平安時代の 在原元方という人は「年の内に春は来にけり一年を去年とやいはむ今年とやいはむ(年が明けないうちに立春になったが、昨日までの1年は去年と言おうか、それとも今年と言おうか)」と詠んでいます。

「年の内に春は来にけり」というのは12月のうちに立春になったということですが、年によっては立春や節分が旧暦1月1日より早くなることがあります。

たとえば2010年も、立春は2月4日ですが、旧暦元日は2月14日で、立春のほうが旧暦1月1日より早かったのです。ちなみに2011年は節分と旧暦1月1日が同じ日になります。

 

 

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