そば湯 

 
  2010年 2月1日
  ゆとう
 

そばを食べた後にはみそ汁

 そばを食べた後にそば湯をのむというのは、もともと信州の一部地方の習慣で、江戸時代の中頃には、まだ一般的ではなかったようです。なんと、そのころの江戸では、そばを食べた後には豆腐の味噌汁をのむというのが決まり事でした。

寛延四年(1751年)に江戸の日新舎友蕎子という人が書いた『蕎麦全書』という本には、そば湯が江戸に伝わったまさにその時のことをこう書いています。(めんどくさければ引用は飛ばして、ようするに からお読みください)

(蕎麦全書から引用)

先年所用の事ありて信州諏訪辺を通る事あり。信濃そばとて名物を聞居ければ、旅宿にてそばを所望せしに、其そば其製大きによし。なるほど名物ほどの事有り。然るにそば後すぐに蕎麦湯を出して飲しむ。予主人に問いて云江戸にては、そば切りを人に振舞時、そばの後、定って吸物とて豆腐の味噌煮を出す。よく麺毒を解すといい伝ふ。しかるに今吸物など出さずして直にそば湯を出すはそのわけ有やと云へば、主人云いけるは、そば後直に蕎麦湯を飲む時は食するそば直に下腹に落着てたとへ過食するとも胸透きて腹意大きによろしき物也。

中略

帰郷の後信濃風とてそば切を人々に振廻ふ時分には、必角そば後直にそば湯を出して饗応せしに、江戸などにてはせぬ事故中々珍敷一興なりとて皆賞しけり。

(旧字体は常用漢字で代用しています)

【意訳】


先年用事があって信州の諏訪地方を旅行したことがあった。信濃そばがが名物だと聞いていたので、旅館で注文したのだが、とてもおいしかった。なるほど名物というだけの事はある。

其の旅館では、そばの後にそば湯を飲むようにとすすめてくれた。「江戸ではそばを食べた後は、食あたりを防ぐため豆腐の味噌汁を飲むものと決まっているのですが、なぜここではそば湯なのですか?」と旅館の主人に聞いたら「そばを食べた後にそば湯を飲むと消化が良くなって、食べ過ぎても、腹にもたれず胃の調子がすごく良くなります」と答えた。

中略

江戸に帰ってから、信州風のそばを食べさせてやろうと言って、そばをごちそうした時にそば湯を出したら、江戸ではそば湯を客に出さないので、みんな珍しがってほめてくれた。

ようするにこの文章からこんな事がわかります。

  • 江戸っ子の日新舎友蕎子さんは「そば湯」は飲むものだとは思っていなかった。
  • 江戸では、そばを食べた後には豆腐のみそ汁を飲むものと決まっていた。
  • 信州諏訪地方では消化薬としてそば湯を飲んでいた。
  • 日新舎友蕎子さんは信州風の「飲むそば湯」を江戸に伝えた。

 

■ 湯桶(ゆとう)

ゆとう
丸湯桶
ゆとう
角湯桶

 そば湯をサービスするための器を湯桶(ゆとう)と言います。懐石料理で、ご飯を炊いたお釜のおこげをお湯に溶いてお客にだす器を湯桶(ゆとう)といいますが、これを転用したものと思われます。そもそもがそばを茹でただけのお湯ですから、少しでも高級感を演出したかったのでしょうね。

最近はプラスチック製が多数派ですが、高級なそば屋では今でも木製うるし塗製を使っているところもあります。形は丸形と角形があります。角形は注ぎ口が横についていますので、人の話に横から口を出す事を、江戸時代には「そば屋の湯桶」と言ったのだそうです。

■ そば湯でそば屋の腕がわかる?

 そば湯でそば屋の腕があるていどはわかります。たとえば、そば湯でそばつゆを薄めて飲んでみると、化学調味料を使っていれば化学調味料の味が突出して現れてきますのですぐにわかります。醤油が悪ければ醤油が、鰹が悪ければ鰹がという風に、薄める事によって隠れていた粗いところがはっきりしてきます。

またそば湯が妙にヌカ臭かったりすると、そば粉が良くないなとか、妙に小麦粉臭かったりすると、二八じゃなくて逆二八だったりとか。またそば湯の色が赤茶けていれば、そばゆで釜の火力調整が下手なのかなとか、そば湯を注意深く味わえば「ああなるほどな」と気づくこともあると思います。

もっとも最近はそば粉を水で溶いて鍋で煮た「作ったそば湯」をだすそば屋が増えているので、そういうことも見えにくくなってきました。

  参考資料 : 
「蕎麦全書」伝(藤村和夫注解 新島繁校注 ハート出版) 
 


 
     
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