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2010年 11月 1日 | |||||||||||
そばというものは、庶民の生活に身近なものですから、歴史に記録されることはきわめて稀です。また元祖本家などといった事も言ったもの勝ちみたいなところがあって、多くの場合確かめようもありません。 ですから蕎麦のことは、ちょっとした疑問でも調べていくうちに、まるで迷路に迷い込んでしまったように、答えがどうしても見つからない事のほうが多いのです。それで「蕎麦の迷宮」とタイトルを付けさせていただきました。 当たり前のように身近にある蕎麦にも、不思議がいっぱいあることを知っていただければ幸いです。なお、定説とはことなる独自の見解を多く含んでおりますので、そのあたりご了承ください。 今月のテーマはそば徳利です。 骨董趣味の人で、蕎麦猪口を集めているという人は少なくありませんが、蕎麦徳利を集めているという話しはトンと聞きません。なぜでしょうか、不思議です。 最初か蕎麦猪口にツユを入れて出せばいいものを、なぜ蕎麦徳利なんてものがあるのでしょうか。これも不思議です。そんな蕎麦徳利の不思議をさぐってみました。
汁徳利ともいいます。もりそばやざるそばを注文すると、そばツユ入れとして出される、ずんぐりした徳利です(上の写真) もりそばやざるそばを食べるなら、そば猪口にはじめっからツユを入れておいてもいいはずです。実際、蕎麦徳利を使わず蕎麦猪口にツユを入れている蕎麦屋さんもあります。 では、なぜ徳利にそばツユを入れるようになったのでしょうか。やっぱり、出前で使いはじめたのではないかとおもいます。猪口にツユを入れていると、猪口を重ねて運ぶ事ができませんので場所をとります。つゆがこぼれてしまうかもしれません。 昔はツユを入れた一升徳利(タヌキの置物が持っているような徳利)を客席に置いて、セルフで注がせる店もあったようです。また、ちょっと上等な店では、一人ゝに「汁つぎ」というものを付けていたようです。汁つぎについては、後でも書きます。
最初から、蕎麦猪口のツユを蕎麦猪口に全部いっぺんに注いでしまう人が、よくいらっしゃいます。それでは蕎麦徳利の立つ瀬が無いというもの。そばを食べているうちに、だんだんツユが薄くなってしまいます。 まず最初は、3分の1くらい注ぎましょう。そばを食べているうちに、少しツユの味が薄くなってきます。そうしたら、蕎麦徳利からツユを少し注ぎ足します。そうやって、食べる、注ぎ足す、を繰り返せば、最後まで同じ味で、おいしくそばを食べる事ができます。
まずこの絵をごらんください。そば屋の出前持ちが犬に足をかまれて、そばを落してしまっています。落した蕎麦はお侍さんの頭の上に、お供のヤッコさんは主人の災難を見て大笑い、という図です。 注目していただきたいのは、出前持ちが落した物です。次はその拡大図です。
蕎麦のセイロが6枚、割箸ではない箸が3膳、薬味皿1枚、蕎麦猪口が3個、そのうち1個は割れてしまっています。江戸時代はセイロ2枚で1人前ですから、運んでいたのは盛りそば3人前のようです。 おやっ、地面に赤い蕎麦湯桶(そばゆとう)がころがっているではありませんか。何か液体がこぼれています。 私も最初これを見たとき「昔は出前にも蕎麦湯を付けたのだろうな」と思ったのですが・・・ そしてよく見れば蕎麦徳利がありません。どこへ消えてしまったのでしょうか。ツユは最初からそば猪口に入れて運んでいたのでしょうか。それにしては、落ちて割れたそば猪口のまわりにツユがこぼれた様子がありません。 さて、つぎの絵も江戸時代です。助六がそばのお膳を持っています。お盆のようにも見えますが、よく見ると足がついているのでお膳です。 歌舞伎にくわしい人なら、「助六が持っているのだったら、そばじゃなくて ウドンだろ」とおっしゃるでしょうが。とりあえず、そばかうどんかの詮索はさておきまして、、、 そばかうどんかは知らねども、わしが給仕じゃ一杯あがれ 、と差し出すお膳の拡大図。 これもツユを入れる徳利は見当たりません。1人前でしょうか、セイロが2枚、黒い蕎麦湯桶(そばゆとう)が1つ、白い蕎麦猪口が1つ。
ということは、この蕎麦猪口はさかさに伏せておかれています。つまり蕎麦猪口にツユは入っていないことになります。 ツユもないのに湯桶(そば湯)がセッティングされていることなんてありえるでしょうか? ひょっとして「蕎麦湯桶は、そばツユの入れ物ではないのか?」という疑問がわきました。 もしそうなら、先の絵に出前持ちが落っことした蕎麦に、蕎麦徳利が無いのも納得できます。また、上手(じょうて)の食器を使うような上等なそば屋では、湯桶(ゆとう)がそばツユ入れとして使われていたのだと考えれば、蕎麦徳利が骨董のコレクションアイテムになっていない理由も納得がいきます。 調べてみましたら、木製漆塗りの汁つぎというものを使っていた店もあったとか。たぶんこれがその「汁つぎ」なんだと思います。 でも、汁つぎも湯桶も、かたちといい大きさといいそっくりです。どうやって使い分けていたのでしょうか。蕎麦湯だと思って猪口に注いだらツユだったみたいなことはなかったのでしょうか。まだまだ謎はつきません。 |
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