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看板 (村瀬忠太郎 蕎麦通 昭和5年) 軒に
以上『
投げ簾を使う者が、簾の一部を四角に遺し、他の部分を長く引き延ばして、丁度竹竿の先に板を釣り下げた様な形とする。時の良い立てに「東海道や中山道、宿場々々の、蕎麦屋の看板」という事がある。実に東海道、中山道その他の宿駅には、竹竿の先に板を下げて、蕎麦あるいはうどんの看板とした所が沢山ある。この板は大概幅一尺位で、四角なものもあり上の両隅を切ったのもあるが、絵馬額の形のが最も多い。棹に付けず直に軒に下げる方が通例であって、板の下部には白紙を細く截ったのを貼り付けるのが常である。かような看板は、今日では東京の間近には見当たらぬ。『江戸名所図会』には、板橋の景中に画いてある。その以前の事は、柳亭種彦の『
とあれば、吉原の饂飩屋にも、この看板ありしなるべし。 これによって観ると、この看板はもと市中で用いたものであるが、追々に失せて、場末の地にのみ存じ、今日ではそれも跡を絶って、宿駅を通行しなければ見る事が出来ないようになった。看板に白紙のぴらぴらを貼り付けることは、他所にもあって、ただ目につくようにするためだろうが、この場合では蕎麦や饂飩の形をも示すため、やや長くする事もあると思われる。板の上には、蕎麦、そばきり、うんどん、饂飩などと書いたもの、又は二五、一八などと記したものも見受ける。二五とは二五の十にて、即ち一杯一銭、一八が八にて即ち一杯八厘という意。 このように数字を書いたのは、看板ばかりではなく、掛け看板、置き行燈、障子などにも書してあり、上州前橋の掛け看板には、一面に一八うどんきそば 一面に八十うどんきそば と記してあった。『江戸名所図会』中にも、蕎麦屋の看板に二六と書いたのが、随所に見える。これも二六十二で一杯十二文の意、『東路の日記』中に、「酒屋の障子に二六うんめんとかきたるあり」とある。 岩代の若松という土地では、蕎麦屋の看板に○そばとかいて、○は一銭の意味を現し一杯一銭の蕎麦だという。 文化二年七月に催した『江戸職人歌合』の書中には、蕎麦屋の置き行燈の図に、一面には「あくぬき」と記し一面には「
以上は『看板考』に掲げられたものいである。現代の看板は横額の板に字を掘り込み胡粉を塗ったものが多く、筆跡も蕎麦屋専門の書風で、龍丸小龍丸何々と一流のものが幅を利かせている。故人中根半嶺の筆になったものを彫り込みにして黒漆で埋めたものも見受ける。中には麗々しく金文字なぞで出した俗悪なものも少なくない。その他のれんは夏は麻に黒く文字を染めたものを用い、冬は黒の地厚な木綿に白抜きに染めてある。そしてその文字は、生蕎麦、おそば、きそば、御膳そばなど、その店の思い思いの文字が記してある。
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