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 通の食うものと万人向き  (村瀬忠太郎蕎麦通 昭和5年) 

 真実に蕎麦を嗜好する人は、夏冬通じて蒸籠以外のものは、あまり食べないのが普通だ。これは種物なぞになると、肝心な蕎麦の香気も風味も、共に消されてしまうからである。そして汁を決して沢山ひたさず、噛まずに啜り込むという、衛生上からは感心出来ない食べ方をしている。実際の蕎麦党になると、茶碗一杯の汁で、蒸籠三、四枚を食べても、なお残っているといわれている。

 総ての蕎麦屋が、最も重きを置いて得意のものとしているのは、やはり笊蕎麦である。海苔を揉んでかけるのは最近の趣向で、もともとは海苔はかけなかったものだ。したがって今でも一流の店になると、客の注文があればともかくも、普通笊と言えば、海苔をかけずに持って来る。

 永坂の更科、池之端の蓮玉庵、浅草奥山の萬盛庵、連雀町の薮、本郷四丁目の薮、浜町の吉田、その他著名の蕎麦屋では、いずれも笊蕎麦についてそれぞれの特徴を持って評判を取っている。

 笊蕎麦と言っても、昔と今では器が全く異なっているから、あるいは蒸籠と呼ぶほうが至当であろう。以前は円形の平らな笊に盛って出したので、名実共に実際笊蕎麦に違いなかったが、今ではただ円形の蒸籠であるかまたは盛り蕎麦よりはやや大きい角型のものを、用いているようになった。中には依然笊を使っているのもあるが、これは極少数派である。

 明治五、六年頃は、笊蕎麦は値で仕切ったもので、五銭、十銭、というように、一番大きいのは二十五銭であったが、これはほとんど一抱えもあるほどの大きな笊に、蛇の目型に盛り上げるのが定法だった。これは多人数で、笊を中央に取り囲んで八方から箸を出して食うという、一種の親しみのあるものであった。

 種物では「花巻」がもてはやされた。これは上等の焼海苔の高い香気と、蕎麦の淡い風味とが、もっともよく融合する点を、特に好むのであって、真実の蕎麦の嗜好者は、決して複雑な味の加えられた種物は、好まないのであった。

 種物となると、世間の万人向きのものは、なんといっても、天麩羅蕎麦が第一だ。しかしこれも場末の店だと、種も悪く揚げ油も上等な品を選ばない。しかも揚げ置きの冷たくなったのを鍋に入れて煮て出したりなぞするから、汁は濁り見かけばかりで味が劣るけれど、一流の店ではすべて材料から吟味して、揚げたての熱いのを入れるから、一口に天ぷらといっても到底比較にならない段違いのものになる。

 浅草公園の大黒屋は、今では天麩羅が専業になって、蕎麦の方は廃業してしまったが、蕎麦屋時代は、天麩羅蕎麦で売り出した店だった。種に使うのは海老ばかりだったが、評判の店だった。

鴨南蛮 鞍掛橋の鴨南蛮といっては、一時は鳴らした店ではあった。看板にも現す店だけあって、ここの鴨南蛮は自慢の味を持っていて、遠近に響いた名物であったが、近年廃業してしまった。

おかめそば これは一般に女子供に喜ばれる向きの種物である。おかめそばで売り出した店は、池之端七軒町の太田庵で、屋上におかめの面を看板に出したりして、人の目を惹き、印象を深らしめたことによって成功した。太田庵というよりは根津のおかめそばという方が、一般には通りがよかった家だ。

餡かけ これも多くは老人か女子供に向くものだ。浅草仲見世の 『 中萬 なかよろず 』 で売り出した餡かけ饂飩は、半月しんじょが入れてあって、それが美味だと言われたものだった。

冷かけ これは万人向きの通なもので、蕎麦の香気も失わずにかけ汁の味を賞する、むしろ玄人向きの食物と称せられていたものだ。急ぎの用事を抱えた時などはこれに限る。というは蕎麦を温めずに丼に入れて熱い汁をかける、箸でかき交ぜるとあたかも頃合いの温かさを保って容易に食べられる。盲人なぞには猪口と丼が別々では不便だけれども、冷かけにすれば世話なく食べられるから、盲人向きだとさえ云われているのである。

 

 

 

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