馬方蕎麦(村瀬忠太郎 蕎麦通 昭和5年)
馬方蕎麦と一般に言われていたのは、並み蕎麦のことで、極めて安直な店であるが、そのうちでも江戸時代から評判の店が少なくない。芝の赤羽に水天宮があった頃に、その付近に 大門 ( だいもん ) と呼ぶ店があって、非常に繁昌をしたので有名であり、この他には上野広小路の河村、一石橋の念仏蕎麦、四谷門外の太田屋、四谷木戸の京屋などが、一般に知られた店であったと言われている。
この馬方蕎麦は、粉を 篩 ( ふるい ) にかけず、サナゴ(糠)のままを製造したもので、一般には色の黒いものであった。この蕎麦の汁は、普通のものよりか、幾分 鹹 ( から ) 目の方が、蕎麦との調和が取れたそうである。一体蕎麦粉は一番粉は白くて上品ではあるけれど、蕎麦の味は 却 ( かえ ) って二番粉三番粉の方に、余計に含まれているため、蕎麦好きにはむしろ、この馬方蕎麦の方が喜ばれる傾向があった。