蕎麦全書 巻之上  寛延四年 日新舎友蕎子 著
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新蕎麦の事

予按ずるに、蕎麦夏土用の後種を下して、九月霜の不降以前に是を収る物常なり。然るに、其少も早く出るを人々大に賞翫す。是又人情の常なり。故に三四月種を下し、六七月に収る物有り。然れ共、其旬ならずして種を下し、其旬ならずして早く収る故、其実充実ならず、其味も又佳ならず。只早く出るを賞玩するなり。

上州沼田領より官家へ六月中に新蕎麦を献ぜらるる物語を聞けり。たとえば、畑一反に蕎麦種を下し、六月中に収るに 漸二三も収るとなり。其実入甚少き故なり。故に其味も佳ならずとしるべし。只珍物を賞翫する事なり。上州にかぎらず、東北の地右のごとくせば、何方にもはやく収むべけれ共、実入少ふして其利なき故、売買には出さざるなり。

亦新そばと称する者、七月末にだして売買す。これを試るに、其色甚青からず、滋潤すくなし。是走りと称して、去年晩成のそばを枝ながら収めて、■■陰幽の地に蔵め置、明年七月頃に出すとなり。是をつるしと唱ふ。当年新生の品にあらず、然れ共蔵法宜敷故、新そばと称して人々大きに賞翫す。八月頃に至て、四ッ谷新そばとて出るあり。商家に深大寺そばとよぶ。是は当年新生の物なり。其甚青く滋潤有りて、其味甚佳なり。此品四ッ谷そばと云え共、実は信州の新生の蕎麦のよし。一商家談に云く、八月初に深大寺挽抜そばを売出す。其実は近年四ツ谷そば発向する故、信州の新生そばを四ツ谷の商家へ取寄せ、挽抜とし色の青く宜敷物を選び拵へ、毎朝堀留の商家江八九程づつ卸に来る。是を深大寺挽抜そばとよぶ。四ツ谷のそばは中々此節実入せず、出来せずとなり。故に商家に新そば是は吊るし蕎麦なり、深大寺蕎麦是は信州新生のそばなり、此二品有るなり。辛未八月十五日名月故新そば発向する故にや、壱升の価三目許り也とぞ。朝の間皆売切って払底せし也。四ッ谷よりも多くは持来らず。商家も価の高直故、多くは貯へずとなり。右、一商家の談なり。

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