蕎麦全書 巻之中  寛延四年 日新舎友蕎子 著
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蕎麦の角力の事

予が親き友谷村氏と云有り。そば好きにて手製、麪店家の構いなく、少々の出来不出来を論ぜず、いづくも其食する事多し。亦一人平岡氏と云有し。是もそば好きにて、大にたしみ食す。或時、物好き成る人寄合て、谷村・平岡の両氏を招き、そばを手製し、何れか多食ならん、ためしに両人蕎麦の角力を見んなど云て催しけるに、両人大きに勇み、楽に勝負せん。晴事なりと云て、人々集りけり。誠に一興なり。既にそばの角力始まりければ、両人対座しけり。人々いざ見物せんとて、大勢取廻はし、何れか多からん、不紛様にはかり見るべしとて、皆々集り待ち居たりしに、主人より先大重筥に小山のごとく入れたる蕎麦一重づつ両人の前に引たり。今はかり見るに、大概一升一二合の積りなり。両人ともに速に箸を下し、楽に食する程に、終に皆食し終りぬ。見物の人々大きに驚きけり。

主人問いけるは、此上にも亦食はるべきやと云ければ、谷村氏曰、過食せり、しかし此上に盛替二三椀は宜しかるべしと云。いざ盛替にせよとて両人の側に引けるに、両人共に一碗食し二椀食し、終に廿一碗づつ食せし。是には人々大に仰天し、却て少し興ざめ、余り多くは亦いかがなり。是にて先そばは無用也と、見物人の人々一同に云ければ、両人も成程殊の外の過食なり。此上は中々食しがたしとて、先蕎麦角力は両人無勝負対々也と、皆人興じければ、一人平岡氏に向ひて、日頃大食なれば此上にも亦食せらるべしや、幸豌豆飯出来たり。是はいかがと尋ねければ、平岡氏是は珍らし。いか様宜しかるべしとて、大盛二椀を食したり。

人々大きに肝をつぶし、是は是はと斗にて、暫時なりもやまざりしに、一人云様、そばの分料は両人共に同様にして勝負なし。しかし平岡氏そらまめ飯二椀の勝なりと云ひ出したり。亦一人曰、しからず、今日の会はそばの勝負なれば、そばに限るべし。此豌豆飯、蕎麦ならは成程勝なり。外食はそばの勝負に不可入。此席は蕎麦の角力にて、凡て食の勝負ならざれば、平岡氏勝とはいわれまじと云ければ、諸人此評、是なりとて無勝負に極めぬ。

しかし平岡氏の大食、扨々大きなる腹の囲ひかな。恐ろし恐ろしと皆云いひけるが、果して一両年の後、大きに脾胃を損じ、久敷くなやみ、終に救はざるに至れり。又彼谷村氏は、今以猶健かにして、于今そばをたしなみ食すと語りければ、彼松崎氏是を聞て云様、此人々はそば好寄とはいはれまじ。蕎麦の大喰也と。批評、誠に尤也。彼平岡氏の病死せしを、そばの害をなせしとはいはれまじ。亦谷村氏の今年既に七十歳に向々として起居壮健、今以蕎麦をたしなみ食す事、前のごとく也。

是等蕎麦を常に食して害無しと云、能き証拠とすべし。谷村氏のごときそばの大食すら如斯。況や少食して害をなす事決して有るまじ。世上に云ふ、好物にたたりなしとは違ひなき事なり。亦蕎麦切は平生無病の人の食にて、病人の食にあらず。ましていはんや脾胃虚寒の人など剰へ強て食すべき事にてなし。上にいへるには、そばの性をいはんとて、却て病人不□生にして食事を専らとす禁忌を破る事をいへり。混雑して別ち難ければ、毎に是を食すと云より、終り弥不起の廃に至らんと云迄、点を懸て置たり。是を削り去るべし。

或人の曰、左にてなし。是は強食過食して害をなす事、何ぞ蕎麦而已ならんや。朝夕接命の粳米飯さへ強食すれば害をなせり。然るにそばの条下にか様の事を論ずれば、世の人蕎麦の性よろしからずして害をなすと思ふ者もあらん。まぎらはしくてよからず。故に削り除てよし。

 
 
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