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  名古屋春鹿楼が蕎麦の頌(村瀬忠太郎 蕎麦通 昭和5年)  

江戸 宿屋飯盛

 蕎麦は仁明帝にんみょうていの御時、もっぱら畿内に植えさせ給いしとか、されど今の世のうち方をしらざめれば、蕎麦がきとなし、あまづらつけて食いたりけん。此物はみすずかる信濃国に出づるをもてもっともその絶品とはすなり。されば朝日将軍の院参には是を献じ給いけん。行長入道が竟宴きょうえん には、是にて酒をやすすめつらん。その腹さえもうとましき信濃坊さえ恵み給いしは、解脱上人の手打ちの御料なるべし。長袴をや着たりけんとは、隣の畠を惜まれし澄恵僧都の戯言なりとか。そも蕎麦は食物の用のみならず、今日渡世の上においても、益ありてめでたきものなり。まず千金の夜具の敷初は更なり、三百長屋のわたしまえにさえ、千歳を寿ことほ ぐくさびとはすめり。和尚は旦那に箸を取らせて、本堂建立の口開きとし、奴婢は請状の饗膳となして、主従三世の契りを固くす。棟上の大工は地がために高きより下り、あらうちの左官は手を洗いてこれを拝す。詩歌連俳の えん はもとよりにて、倹約の夷講えびすこうにさえ近頃これを取出ずめり。あるは新蕎麦のはしりと聞きては、小判の耳を傾くる人もありなん。又麺棒を隣へ貸して、夜食を食わぬあいなだのみもありぬべし。二十四文の辻君は是に深夜の寒気を凌ぎ、四十余人の義士たちは是を夜討の兵糧とせりとか。今本草を考うるに、五臓の滓穢を消する効あり、論より証拠に引くべきは、湯の盤のめいような事は、この蕎麦切の名に負える、垢に汚れし 犢鼻褌たふさぎなりとも、ゆで湯をとりて洗濯せば、まことに日々新なるべし。さればふるい粉のからくに人も、是を食うたらうまかろう、おいしかろうと言いしより、終に 河漏 かろう の名をさえ負わせぬ。うちびさす都の歌よみは、物の名にかくして詠み興じ、あまさかるしづが子どもは、蕎麦切索麺そうめん食いたいなぞと謡うめる。おしてるや難波の津には、砂場といえる名物あり、鳥が鳴く東には、正直といふ名題あり、寺に知られし道光庵、社に名あるそば稲荷、一の谷には敦盛蕎麦、蓮性法師が念仏蕎麦、名も高砂の翁そば、秋の夜長の寝覚蕎麦、味も吉野に聞えたる、名に負う背山いもつなぎ、うそを月夜にの名もしるき、廓に客をつるべ蕎麦、めぐりは闇の 晦日 みそか 蕎麦、娘の恋のしのび蕎麦、縁をつなぎのたまご蕎麦など、取立てて言わんには、汁注しるつぎの口にもあまりぬべし。是にうち方ゆで加減、水のきりよう汁あんばい、秘事ひじ口訣くけつの伝授ある事は、天工開物の筆にも書取りがたくや。このしなじなの美をそなえて、かみがみなる代物というは、高き名古屋のみその町、春鹿楼が蕎麦にてぞありける。おのれ今年旅行のついでに、しばしとてこそと杖を立てて、菅笠の紐とくとく、先ず四五杯をぞ試みたる。いでや玉くしげ箱根を越えてより、宇都の山辺のうつつにも、夢にもかかる美膳にあわず、さは思うこといわざらんは、胴巻きの腹やふくれなんと、腰なる矢立の筆取り出て、大根おろしの滅多やたらに、花鰹かきつづけつるは、けんどんはこのふたつなぎ、此家の蕎麦にめずればなるべし。

 

 

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