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演芸に現れた蕎麦(村瀬忠太郎 蕎麦通 昭和5年) |
劇中に演出された蕎麦は、極めて少ない。しかし風鈴蕎麦や鍋焼饂飩の屋台は、よく仕出しの道具に用いられている。芝居では例の天保六歌撰中、直侍と丑松とが、雪の入谷で邂逅の場面と、助六の狂言に、蕎麦屋の口入宿をならべたものくらいであろう。
助六 福山のかつぎ
中村仲蔵とらんめん 仲蔵は思いあまって日頃から信仰する柳島妙見に、日限りの祈願を籠めて日参をした。 そしてある日、妙見に参詣の帰りに、俄雨に逢って、押上のらん麺に雨宿りをしていた。すると同じく雨に逢った侍が、慌しく刀の柄を袖で包むようにして、らん麺の店に飛び込んで来たのであった。 見るともなしにその侍を見た仲蔵は、われを忘れて頭から足の爪先まで眺め入ったのである。異様な服装ではない。黒羽二重の紋服の裾を端折って、雪駄を脱いで帯に挟み、きりりとした姿であった。 月代の延びたところは、幾分凄みを見せたが、苦み走った好い男である。仲蔵はこの侍を見るや、たちまち定九郎の姿は釈然として解決した。そして仲蔵はこの侍の姿服装を、そっくりそのまま、定九郎の姿として舞台に現したのであった。 それが非常な評判となって、仲蔵の定九郎のために観客が集まったとまで言われるほどの、好評を博したのである。 モデルとした侍は、当時旗本五人男の一人として知られた此村大吉であったと言われている。
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