そもそも蕎麦は、
仁明帝
の御時と、古い話の種が残りて、当国にては深大寺を以て、こいつは日本一と称す。このもの五臓の滓穢をのぞき、気力を増すのに効ありと、加古川本草の掟を守りて、天川屋が馳走を喰いし、由良之助が女房まで、おいしおいしと褒めけるとぞ、まず蕎麦のめでたき例をいわば、棟上井戸がへ柱立、土蔵のあらうち煤はらい、移転の長屋配り、主従固めの請状にも、件の如き設けとなす。堂建立の口びらき、三つ蒲団の敷初めまで、煩悩菩提両つながら、そばを離るることはなしと、我田へ水を引かげん、捏かた打かた茹方まで、手練を得たる私めは、深大寺の住人にて、蕎麦一道に明るきと、やった様には候わず、其の味いは御好物の知る人ぞしる、汁つぎの口々、御評判あそばされ、老若男女子供衆まで、ぞろぞろお出を希い候。以上。 |