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北海道そば史 |
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できごと |
縄文前期末 |
函館市南茅部のハマナス野遺跡からソバの種子出土。縄文時代にソバ栽培? |
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1817 |
松田伝十郎「北夷談」に安野呂村(北海道厚沢部町)より出る蕎麦別して上品風味も信州産に異ならずと記す。 |
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1856 |
幕府巡検市川十郎、オシャマンベ蕨岱のそば殊にうましと記す。 このころ函館に石川屋という蕎麦屋があったといわれる。 |
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明治時代 |
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1868 |
小樽で米山蕎麦店開業 |
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1872 |
札幌で東京庵開業
小樽で東家開業(1874年という説もあり)東家は後に釧路に移り、暖簾分けの蕎麦店は北海道各地に拡がる。 |
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1880 |
この頃のお品書き |
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函館の蕎麦屋 |
茶そば |
10銭 |
らんきり |
7銭 |
親子南ばん |
5銭 |
玉子とじ |
4銭 |
天ぷらそば |
4銭 |
はなまき |
2銭5厘 |
もり、かけ |
2銭 |
札幌の蕎麦屋 |
鴨なんばん |
15銭 |
天ぷらそば |
10銭 |
もり、かけ. |
5銭 |
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函館は「北海道なんでもルーツ」札幌は「蕎麦屋の系図」から。値段の差は地域差なのか店による差かは不明。これは私の想像ですが、札幌のほうは2杯分の値段かもしれません。江戸時代は蕎麦の値段は2杯分で表示することが普通でした。明治時代になってもその名残りがあったのかも。
ちなみに、このころの東京でのもりそばの値段は8厘。(1銭=10厘)
明治時代、都市部で蕎麦屋が現れる一方、農村部では開拓者が故郷からソバの種を持ち込み、そばを常食とする。おもに、そばがきや、そば団子の味噌汁など。正月には手打ちそばを打ち、鶏ガラでだしをとり野菜や鶏肉の具の入った汁をかけて食べた。そば粉を碾く石臼は北前船で佐渡島から運ばれた。 |
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昭和時代 |
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1930 |
そば品種「牡丹そば」誕生 |
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1943 |
食糧増産応急対策が閣議決定され東京のそば屋3,000人が動員され北海道で農作業する。 |
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1945ころ |
食糧不足のため、塩酸で溶かした昆布、デンプン、魚粉などでつくった海宝麺という代用そばが蕎麦屋で供される。 |
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1971 |
米がとれ過ぎて減反政策が始まる。水田がそば畑へ |
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平成時代 |
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1989 |
そば品種「キタワセソバ」誕生 |
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1991 |
そば品種「キタユキソバ」誕生 |
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1993 |
本州では長雨のためソバが不作。北海道産ソバが引く手もあまたとなる。 |
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2001 |
そば品種「ほろみのり」誕生 ダッタンソバ品種「北系1号』誕生 ルチンが多いといわれるダッタンソバのブームが起きる。 |
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2004 |
台風18号による強風で北海道産ソバが不作となる。 |
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2005 |
北海道農業研究センターで開発したソバの新品種「キタノ マシュウ」登録 |
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参考図書: 「北のそば屋さん」「北海道なんでもルーツ」「蕎麦屋の系図」「北海道の食」「聞き書き北海道の食事」「北海道の民具と職人」「そば学大全」「蕎麦と江戸文化」
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